未来圏内

日々のくだらないことや小説

いつか許せるようになる日まで

 

 成人式だった。あのとんでもなく嫌いだった中学とたまらなく好きだった高校の5年間(私は中学で転校を経験している)を過ごした土地に帰ってきて、死んでしまった方が楽だと思っていた中学の同窓会に出た。そのときの気持ちを全部吐き出そうと思って、この記事を書く。読んでも面白いものじゃないし、だいぶ自分に酔ってるかもしれないけど!

 

中学-登校拒否と「徳川勝利」

 私は暗い中学時代を過ごした。中2のときに生まれ育った県を離れ、隣県に引っ越した。それに伴って転校したものの、新しいクラスには馴染めず、数日は動物園のパンダのようにじろじろ見られ、学校に行くことがつらかった。いわゆるスクールカーストの底辺にいた私は、運動部の女子が学校行事をキャッキャキャッキャと楽しんでいるのを横目に学校の窓から飛び降りて自殺する想像をしていた(もちろん死ぬ勇気はなかった)。聞こえる大きさで悪口を言われても気づいていないフリをして、合唱コンクールの練習でクラスの女子に「音痴だから歌わないでくれる?」と言われた友人をそれとなく慰め、授業を忘れて教室に来ない先生を呼びに行ったときには背中に暴言を受けて職員室で泣いた。中学のことで憶えているのは大抵こんなことばかりで、あとは不登校になったときに親に厳しく言われたこととか、親が私の寝たあとに、私だけでも転校前の県に戻したほうがいいんじゃないかと話し合っていたこととか、そんなことも憶えている。とにかく親にそんな話をさせてしまう自分が情けなかった。中学のクラスメイトはほとんど嫌いだった。

 

 2,3ヶ月くらい学校に行かなかったが、冬休み明けだっただろうか、急に「学校に行かなければ」と思い立って学校に行くことにした。きっかけは辻村深月の「オーダーメイド殺人クラブ」という小説で、スクールカースト上位の"イケてる女子"小林アンがスクールカースト下位の"昆虫系男子"徳川勝利に「自分を殺してくれ」と頼み、殺人を2人で計画するというストーリーだった。アンは女の子同士のごたごたに巻き込まれ、友人たちに無視され傷つき、そんな友人たちも、そんなことに巻き込まれて傷ついている自分も嫌だった。彼女は殺人事件の記事を新聞から切り抜いて集め、自分が死ぬ妄想をしている。そんな中で話すようになった徳川勝利に同じ匂いを感じ、見下していた”昆虫系男子”に自分を殺してほしいと頼むのだ。

 私は多分、徳川勝利に殺されたかったのだと思う。私も中学校で、私の徳川勝利に出逢いたかった。だから唐突に「学校に行かなければ」と思ったんだろう。

 私は徳川勝利には出逢えなかった。出逢えないまま卒業して、それでも絶対に受からないと思っていた第一志望の高校に入学できた。

 

高校-夏と魔法

 高校は私の青春だ。変な学校行事と変な生徒に溢れた高校で、とにかく日常が楽しかった。友達は私を受け入れてくれたし、同じ中学出身でも同じ高校に来た人たちは皆面白かった。

 高校時代を思い出すと、いつも夏の記憶が先にある。多分、応援団の姿が一番の高校の記憶だからだ。真夏の日差しの下、隣に立つ人の熱を感じ、汗ばんだ手を握り、声を張り上げて野球部を応援した。青い空にひらめく校旗が私の瞼に焼き付いている。応援は泣きそうなくらい切実だった。

 中学時代を受け入れ始めたのは、高校生になってからだ。中学のころは嫌いで仕方なかった、憎んでいたと言っても過言ではない「中学校」という経験を、私はやっと「必要なことだった」と思えるようになった。転校して馴染めなくて不登校にまでなったあの経験が私の人生には必要で、多分過去に戻って他の道を選べるとしても、結局はあの中学に転校し、今の高校に通っていたのではないかと思う。それが私にとって必要だったから。

 そう思えるようになったのは、高校の友人たちのおかげだろう。高校時代は魔法のような三年間だった。勉強や進路のことで迷い、友人とケンカして傷つき、もちろん嫌なことだってあったけれども、この時期のことを思い出すと楽しかったことが先に思い出される。運動会や文化祭、友人たちと馬鹿な話で盛り上がり、毎日のようにLINEでくだらない議論をし合った。文芸部にも入れたことで、小説を書く楽しみも覚えた。卒業とともにとける魔法だとは分かっていても、その魔法の中で私はずっと生きていた。

 

現在-大人と子ども

 あの経験を受け入れたとは言え、結局のところやっぱり私は中学時代私を傷つけた彼女らが嫌いで憎くて仕方なかった。いつか彼女たちのことを許せるようになる日が来るとしたら、それはいつなのだろう? 何をしたら彼女たちを許せるのだろう? 彼女たちはあのまま大人になるのだろうか? そう考えているうちに私は大学生になり、二十歳になった。

 二十歳は区切りだった。今まで子供だった私たちが大人にならなければならない歳だった。成人式があり、その後には中学の同窓会があった。

 逃げちゃダメだ。いや、逃げたくない。嫌いで逃げた中学に、今は嫌いだから向き合いたい。あのとき教室の窓から飛び降りずに生きてきた私を褒めてあげたい。「こんなやつら」の中でそれでも生きてきてくれてありがとうとちゃんと昔の私に伝えたい。中学時代の私とはもう別れたことを、私は私にきっちり見せたかった。

 だから、同窓会に出ることにした。

 

 同窓会には同じ中学出身の高校の友人がいたし、中学時代の数少ない友人も来た。中学時代、仲が良かったクラスメイトは「中学に向き合いに来た」と言っていて、彼女も私と同じように同窓会に来たのだと言う。会場で馬鹿みたいに騒いでビールを煽る人。金やグレーに染めた髪の男。銀色のピアス。華やかなパーティードレス。お酒をこぼして悲鳴をあげる女。司会進行の話を聞かないクラスメイト。まだ大人になりきれていない子どもの集まり。

 それでも驚いたことが少しあって、それはたとえばほとんど話したことがなかった(と思う)他クラスの女の子が私のことを憶えていてくれたり、卒業以降会うことのなかった部活仲間が話しかけてきてくれたりしたことだ。自分は中学時代のことをあまり憶えていなくて、嫌だったことや傷ついたことばかり憶えている。でも経験したことが全部本当にそうだったわけではなくて、たしかに私にもちゃんと憶えてくれている人間はいたのだった。

 

 二次会には行くつもりがなかった。同窓会自体でもう、スクールカースト上位の女子たちが「今どうやって過ごしているか」は分かったから、私としてはもう全部に向き合った気でいた。二次会に行くことになったのは、私と同じように「中学に向き合いに来た」友人がどうしても二次会に来て欲しいと頼んだからだ。

 二次会はクラス会になった。同窓会会場から居酒屋に移動して、ほとんど話したことのないクラスメイトに囲まれる。開始早々、場はしっちゃかめっちゃかだった。私と友人2人以外の女性は当時のカースト上位層で、男性もまたほとんどがそうだった。その上位層の中の女の子1人がお酒のグラスをこぼし、隣にいた女の子の服にかけた。こぼした方は大騒ぎして机を叩き、隣の個室との境になっている戸にぶつかり、店員を呼ぶチャイムを何回も鳴らし、「ごめん!ほんとにごめん!」と叫びまくった。中学時代から何も変わっていない騒がしさだ。お酒をかけられた子は「マジ最悪!」と怒り、男性陣はそんな女の子たちのことをそっと見守る。私と友人2人は苦笑いだ。何も変わっていない。

 

 しかし、場が落ち着いてきて、それぞれが中学時代の思い出や近況を話し始めると、私は驚かされることになる。グラスを倒して大騒ぎをしていた子は、酔っていると分かる言動で、こんなことを言っていた。

「私、中学のとき、暴れすぎたと思って。すごく反省してるの。だって、本音を言うと、私のこと嫌いだったでしょ!? ね!? 」

 「私たち、20になって、20年前は、お母さんから生まれた。なんか、もう、前は子供だったから分かんなかったけど、でも、感謝しないといけないってわかった。大人の感情が私にも芽生えたの!」

 私はハッとした。

「最近気づいたことがあって。学生には、2種類いるの。1つは、遊んでばっかりの学生。もう1つは、真面目に勉強して、バイトしてお金稼いで、がんばってる学生。私はそのことに気づかなくて、前は学生なんてみんな馬鹿だと思ってた。でもそうじゃなかった」

 

 何も変わっていない、はずがなかった。5年という月日は私のことも、私たちが嫌いだった彼女たちのことも大人にした。

 中学のころ、私は彼女たちより少し早く大人になっていたのだろう。だから私たちと彼女たちの中学時代は合わなかった。私は彼女たちのことを心のどこかで「幼稚な人たち」と認識していた。感情のままに振る舞い、相手のことも考えず傷つけ(いや、もしかしたら考えた上で傷つけてもいいと思ったのかもしれない)、私はその彼女らの幼稚さに傷つけられた。

 でも、私たちが嫌いだった人たちもちゃんと大人になる。月日を経るとはそういうことだ。彼女たちはもう反省もするしいいこと悪いことだって分かる。今でも私たちは彼女たちより少しだけ大人の思考回路をしている(と思う)が、それでも彼女たちが成長しないわけじゃない。

 むしろ、同窓会で彼女たちの幼稚さを見て「いつまでもこんなやつら」だと思おうとした私のほうが幼稚じゃないか。

  私はずっと彼女たちのことが怖くて怖くてたまらなかった。嫌いで仕方なかった。中学卒業後は二度と会うもんかと思っていた。けれど、同窓会やクラス会に出て、私はちゃんと彼女たちを見ることができた。私が大嫌いだった女の子は、おそらく中学のとき私をうざったい陰気で真面目な女としか思っていなかっただろうに、クラス会で話しかけてくれた。あまり話したことのない男の子は、会話から外れないように私に話を振ってくれた。みんな、私が怖かった人たちは、その場を上手く回していた。そして、そういうことに私も気づくことができたのだ。

 私はやっと、彼女たちのことを「嫌い」という感情なしに受け入れた。

 

いつか許せるようになる日まで

 いつか彼女たちのことを許せるようになる日がくるとしたら、それはどんな日なのだろう、どんな大きな出来事が起こるのだろうといつも思っていた。中学在学中は彼女たちのことも中学校のことも憎くて仕方がなくて、高校在学中は彼女たちがどうしても嫌いだった。いつか許せるようになる日まで、私の中で彼女たちの存在が燻っているのだろうと思っていた。

 クラス会が終わったあと記念の写真を撮っているときに、私が言った「本当にこの県は寒い」という一言を、隣にいた男の子が拾ってくれた。中学時代は全く話したことがなく、私に嫌なことをしてくるわけでもなかったが優しくもされなかったため、良いイメージも悪いイメージもない男の子だった。

「俺今○○県にいるんだけど、やっぱりこの県は特別寒いよね。ながせさんの住んでいる△△市は本当に暖かいと思う、俺も△△市に住みたいし、ながせさんの大学に憧れてた」

 無口なイメージを持っていたため、彼が私に明るく話しかけてきたことに相当驚いた。驚きながらも彼の大学を訊き、よく知っている大学だったため、その話で盛り上がった。彼はその話のあと、私に「よかった」と言った。

「俺、中学のときから本当は少し話してみたかった。卒業後もちょっと心配してたんだ、ながせさん大丈夫かなって。でも高校で楽しんでるって話を噂で聞いて、今日会って、大学でも楽しい生活をしているみたいだったから、よかった」

 何と言えばいいか分からなくって、ただ「ありがとう」と言った。心配してくれてありがとう。何より、私が楽しい生活をしていることを「よかった」と言ってくれてありがとう、と思った。

 彼は三次会には行かない私と友人2人を心配して「気を付けて帰ってね」「××さん、(酔っていて)危なそうだから」「本当に気を付けて」としきりに言った。私は「2人をちゃんと送り届けるよ」と言って数時間前まで憎んでいた人たちと別れた。

 

 案外、なんでもないことだった。どんなことがあれば許せるのだろうと考えていたわりには、なんでもないことのように私はクラスメイトの中に入り、お酒を飲んで笑い、近況を話して帰っていた。でも、それが正解だった。私はちゃんと、中学のクラスメイトと向き合い、許し、そして昔の私に「ありがとう」と言えた。私は確かに、大丈夫だった。

 一生許せない、と思っていた私は高校のときに死んで、いつか許せるようになる日まで、と思っている私が高校時代にいた。今は、いつか許せるようになる日まで、と思っている私はもういなくて、いつかまた会うことがあったら、と思う私がいる。それでいい。私はそれでいい。でも、今までの私、今までありがとう。

 

おしまい。