未来圏内

日々のくだらないことや小説

「『罪と罰』を読まない」を読まない

 

本屋でうろうろすることほど時間の経過がバグる暇つぶしはない。

最近本を読んでいない。読みたいけれど読む時間がない(というのは事実ではなく、読む時間はあるのだが他にやるべきことが脳裏をかすめて「読んでる場合かよ」と思い読まない。そのあとは結局やるべきこともやらないでダラダラしている)。本を読みたいという欲、読むべき積読本が存在するという事実はあるのに、なぜか読んでいない。どうしてなんでしょう。

実際に本を買うかどうか、買った本を読むかどうかは別として、本を読みたいという欲のままに本屋に入った。呪術廻戦の漫画も探していた(どこに行ってもない)。最近お気に入りの作家さんは新刊を出しただろうか。今話題の本はなんだろうか。気になる表紙の本はあるだろうか(表紙買いは危険なので買わないが)。そうしてうろうろして見つけてしまった。

 

罪と罰』を読まない  岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美

 

私は三浦しをん氏のファンである。エッセイのときのあの自由な書きぶりも好きだし、小説作品のどことなく漂う耽美な雰囲気だったり(「月魚」だ)恋の苦しさとうつくしさだったり(「きみはポラリス」だ)かと思えば個性あふれるキャラクターが何かやらかして大騒ぎになったりならなかったり(「まほろ駅前」シリーズだ)するところが、もうすべて好きなのだ。とにかく好きだ。三浦しをん氏の名前を見て、手に取った。

裏表紙には、こんなことが書いていた。

 

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない4人が試みた、前代未聞の「読まずに読む」読書会! 前半では小説の断片から内容をあれこれ推理し、後半は感想と推しキャラを語り合う。ラスコ(-リニコフ)、スベ(スヴィドリガイロフ)、カテリーナ……あふれるドスト愛。「読む」愉しさが詰まった一冊。 解説マンガ・矢部太郎 

 

 こ、これはオモコロの積読王決定戦……!?

いえ、何でもありません。

 

読んだことのない本について4人で喋って推しキャラまで語り合う本だった。楽しそうな企画である。本屋さんの文庫棚の前で私はひっそりと笑った。私も友人とこの会を行いたいくらいである。

前置きを読むと、この本が出版されるに至ったきっかけは、とある宴席で『罪と罰』を読んだことがあるかという話題が出たことであるようだ。本に携わる仕事をしているにも関わらず、その場にいた四人の答えは「読んだことがない」というものだった。「主人公がラスコーなんとかで」「おばあちゃんを殺してしまう話?」程度の情報しか出ない。で、他の人にも聞いてみることにした。一番多かった答えは「昔読んだ」で、しかし、「よく覚えてないけど、主人公がラスコーなんとかでおばあちゃんを殺してしまうんだよ」程度の情報しかやはり出てこない。読んだ人も読んでない人も大差ないのなら、読まずに読書会ができるのでは――。これが「『罪と罰』を読まない」の経緯であるらしい。

馬鹿馬鹿しい話である。面白すぎる。最高。私はこの本を買った。読むかどうかは別として。

 

実を言うと、私も『罪と罰』を読んだことがない。文庫版は持っているが、本棚に入っているだけでその本を開いたことは一度としてなかった。その隣にある「ツァラトゥストラはこう言った」は大学のレポートのために何度開いたことか分からないが(内容が頭に入っているわけではない)、『罪と罰』は蔵書として存在するだけで、私にとってはもう一種の置物であった。私は思ったのだ。これを機に『罪と罰』を読んだことにできるのではないか?

しかし、私にはひとつの心配事があった。それは、『罪と罰』を読まないままで「『罪と罰』を読まない」を楽しく読むことができるのだろうか、という問題である。

この本は『罪と罰』を読んだことがない4人が『罪と罰』のストーリーを推理しつつ語り合う内容である。であれば、『罪と罰』を読んだ経験があるほうが、この4人の推理についてあれこれツッコミを入れながら楽しく読めるのではないだろうか。「そうじゃないんだ」「そんなストーリーではないんだ」とか、「その推理合ってる!」「すげー!」などと思いながら読むことができたほうが楽しいのではないか。

いや、もちろん『罪と罰』を未読でもこの本は楽しめるだろう。そもそもこの本は「読む」ことだけが読書の楽しみではないということを教えてくれる本なのであろうから。しかし。

 

…………。

 

私は、「『罪と罰』を読まない」をしばらくのあいだ積読本にしておくことに決めた。まずは『罪と罰』を読みたくなったのである。『罪と罰』を読むまで「『罪と罰』を読まない」は読まない。そう決めたのだ。

買った本を本棚に仕舞い、代わりに『罪と罰』上下巻を取り出した。取り出した時点であまりの分厚さに「うわ、長」と言ってしまった。ええい、長くても読むのだ! 三浦しをん氏らの本が(そして一緒に買ったオードリー若林の「社会人大学人見知り学部卒業見込」も)待っている!

私はぱかりと適当なページを開いた。そしてページいっぱいに連なる文字に少し酔った。……なんだこの本。なんだこの本!

改行が恐ろしいほどない!!!

 

…………。

 

私が本当に『罪と罰』を読むまで「『罪と罰』を読まない」を読まないのかは謎である。もしかしたら『罪と罰』を未読のまま読むことになるかもしれない。あまりの難解さに『罪と罰』を読むことをあきらめる未来の私がうっすらと見えた。あきらめて別の本を読み始める私も見えた。でも仕方ないのだ。だって私の本棚には、まだ多くの読むべき積読本が積まれているのだ――。