未来圏内

日々のくだらないことや小説

謝り癖が治らない

 

謝り癖が治らない。

 

そもそも自己肯定感が限りなく低い。むしろ自己否定感がカンストしている。

恋人に対して色んなことで謝ってしまうから、たびたび恋人に「なんで謝るの?」「何のために謝ってるの?」「謝ってほしいなんて思ってない」と言われる。

たくさん謝るから、「謝ればいいと思っている」と思われている。

「何かにつけて謝ればそれで丸くおさまると思ってるから謝るんでしょ」。

「別に悪いと思ってないでしょ」。

 

違う。

自分は本当に悪いと思っているし、申し訳ないことをしたと思っているから謝っている。許されたいから謝っている。嫌われたくないから謝っている。それでもその気持ちが多すぎて、大きすぎて、どうやら相手には通じていないらしい。

 

多分、自己肯定感が低いのが理由なんだと思う。

自信がないからちょっとしたことで嫌われたような気持ちになる。嫌われたくないし許されたいから謝る。謝りすぎてうざがられる。嫌われていると思う。悪循環。

 

もう少しだけでも自己肯定感が持てたらなと思う。

でも「自己肯定感が低いから」と言ったら恋人に「そればっかり理由にするのはよくない」というようなことを言われた。その通りだと思うけど、その言葉でまた自己肯定感が下がった。悪循環。

 

「謝り癖 治す方法」

検索したらたいてい2つの解決法が出てくる。

 

・「すみません」を「ありがとう」に変えよう!

 やっている。うまくいかない。

 

・自己肯定感を高く持とう!

 それができたら苦労はしていない。

 

思えば私の自己肯定感は中学のときに消滅したのだった。

ブログに書いたことがあるけれど(いつか許せるようになる日まで - 未来圏内)、私は中学で転校を経験してスクールカーストの下方にいた。それまでは自分で言うのも恥ずかしいことだが、わりと勉強ができてクラスの委員みたいな立ち位置にいたので、転校先でひそひそと悪口を言われたり運動部の女子に笑われたりするのは初めてだった。

毎日、活動せずに部室に存在するだけになっている部活に行き、部活仲間が楽しくしゃべっているのを聞きながら窓の外を眺めて小説を書いていた。小説を書くことで自分の心が成り立っていた。自分が書くものは、自分を慰めることはあっても傷つけることはなかった。

自室が2階にあったので、夜になると音を立てないように窓を開けて、窓枠に座って夜空を眺めていた。死ねたら楽かもしれないと思っていたが、死ぬ勇気が全くなかった。痛いのも苦しいのも、親を悲しませるのも嫌だった。ずっと泣いていた。BUMPを聞きながら。

 

あのころの経験はすべて自分にとっては必要なことだったのだとは思っている。

でも自己肯定感はそれから戻らなかった。

高校で小説を書いてちょっとした賞をとっても、大学に受かっても、嬉しかったけどそれが自分を肯定することには繋がらなかった。育たないままの自己肯定感。どんどん強くなる自分が悪いんだという気持ち。

 

自己肯定感の話になってしまったけれど、今回は謝り癖の話をしているんだった。

どうやったら治るんでしょうか。そもそも治ることってあるんですかね。

 

思うに、許されようと思わなければ、謝るのをやめることは簡単だ。

許されたいから謝るのであって、そもそも許されないと思えば謝ることもない。

じゃあ許されようと思わないためにはどうするのって、それは2択だ。

・相手を「嫌われてもいい相手」だと思う

・自分が許されることなんてないと思う

不健康な2択である。

 

でもどうしようもないんだもん。健康的なこころを育んでこなかったし、育み方がわからない。行きつく先はどんどん不健康な方向だ。

こころの健康はどうあれ、たぶんこの2つのどっちかを実践すれば謝らずにすむんだろうな。どうしても嫌われたくない相手には、「許されるような自分じゃないだろ」って自分に言うしかない。許されようとは思ってはいけない。大きな罪を背負ったような顔をしてればいい。それがどれだけ不健康でもね。