未来圏内

日々のくだらないことや小説

BUMP OF CHICKEN「記念撮影」の何がいいか今更語らせてくれ

高校3年生の今、この曲に対して思うことがあって、多分今じゃないとこの気持ちは忘れちゃうっつーか将来この気持ちが「過去のもの」になっちゃうんだなあと思ったのでとりあえず書く。

「記念撮影」の何が良いって全部だ。タイトルで示したことはこの一言で終了なのだけれども、歌詞にすごくきゅんとしたのでその思いをつらつらと述べる予定。私なりの解釈で申し訳ないけれど。

 

この曲は、すごく大雑把に言って前向きな曲だ。もっと詳しく言えば、人生のきらきらした時代が「僕」の背中を押してくれる歌だと思う。

歌詞には2人以上の人物が出てくる。「僕」と「君」だ。この「君」が個人ただ1人を指しているのか、それとももっと多くの「君」がいるのかは人それぞれだと思うし、分からない。僕らは(おそらく)学生時代、一本のコーラを挟んで座ったり曖昧なメロディを一緒になぞったりして過ごしていた。このきらきらした時代(安易な言い方で言えば青春だが)というのが「魔法」だ。くだらないことで笑って、はしゃいで、理由もなく突っ走ったり泣いたり、魔法っていうのはそういうものだ。だけど、そういう「魔法」はいつか終わってしまう。そのことに、きっと学生みんなが気づいている。

そして、私たちは写真を撮る。きらきらした時間に自分たちが今いることを表し、そしてそれを未来の自分に伝えるために。将来への漠然とした不安とか、未来の自分へ伝えたいこととか、色々あるけれどそれを全部ひっくるめて、私たちは未来の自分=魔法の外にいる自分のために写真を撮る。届け、と思っている。

大人になっていくにつれて、迷子になったような気がするのはきっと誰しもなんだろう。学生時代は(もちろん私は今も学生だけれど)、課題とか勉強とかやるべきことがたくさんあって、小学校が終わったら中学校、中学校が終わったら高校、高校が終わったら……と大体の道筋が見えていたし将来が想像しやすかった。でも大人になるにつれて、自分のやるべきことをするだとか、自分のやりたいことを選ぶだとか、そういう自分の選択が人生を左右するようになっていく。大人になったら、誰も行く先を決めてくれない。自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかも分からない。まさに迷子。不安。漠然とした想像で生きるしかない。

「僕」は、そんな大人なのかもしれない。学生時代のあのとき想像していた「未来」が「今」になって、でも成長なんかなくていつも同じところでつまづいたり傷ついたりしている。学生時代、一緒に走ったり声をあげて笑ったりした友達とはもう一緒ではない。1人で歩いてきた毎日が積み重なって、後ろを振り向くと「魔法」のころが遠くに見える。写真では、魔法の中の僕らが立ち止まった僕を見ている。

そして僕は思い出す。僕らはあのとき未来に向けて笑っていたことを。「迷子のままでも大丈夫」って伝えたかったことを。

 

私の背中を押すのはいつも昔の私だ。大丈夫だよっていつも言ってもらっている。中学1年のころ撮った運動会のクラス写真でクラスメイトが笑っているのを見ると、あのころはなんでもできるような気がしていたと思い出す。私だってなんでもできると思う。学校に行っていなかったころ「どこかに行きたい」と思っていた私は、「どこへでもいける」と歌うBUMP OF CHICKENと、昔の私によって生かされている。

 

あと3ヶ月で卒業だ。「どこへでもいける」と笑ってこの3ヶ月を終わりたいなあ。