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誰かが死ぬということ - 「素晴らしきかな、人生」

勉強しなきゃいけない時期なんだろうけど、そもそも勉強しなきゃいけない時期に勉強したいと思わないのが世の常なので、結局日曜は勉強をせずに映画を観に行った。スタバにも行った。所謂JKごっこである。

しかし私が観たのはドSな黒王子キラ君今日恋を始めちゃうような恋愛映画でもなければ、僕らのご飯が待ってる明日、昨日の君とデートしたり、あるいは明日、突然ですが結婚したりする(これはドラマだ)する恋愛映画(なんで最近の恋愛ものは日時指定が厳しいのだろう)でもない。観たのはウィル・スミスである。

普通のJKって果たしてウィル・スミスがドミノを組んだり崩したりする映画を観たりするのかな?と思ったけど映画館には意外にも中学生がいました。

えっ、中学生? 中学生がこんな人生の不幸や幸福を描いた映画を見るの? とも思った。思ったけど観てた。彼女たちどんな気持ちで観てたんだろう……。

 

そういうわけで「素晴らしきかな、人生」を見ました。以下ちょっとしたあらすじ。

広告代理店で成功を収めていたハワード(ウィル・スミス)は、愛する娘を亡くし、妻とも離婚、絶望の最中にいた。日常生活も仕事もやる気が起きず、会社でやることと言えばドミノを組むこと。会社は危機に瀕していた。

そんななか、奇妙な3人の男女が現れる。彼らはそれぞれハワードに言葉を投げかけてくるのだった。そうしてハワードは奇妙な出会いによって少しずつ変わっていくが……

 

 もちろんこれは、主人公・ハワードが絶望から少しずつ立ち上がって人生を生きようとする映画である。このことはあらすじから読み取れると思う。だけど、それだけじゃない。最後まで見たら「なるほど」「そうだったのか」「そういうことだったのか」って思うだろうし、きっとみんな、自分の人生を生きる勇気を得られると思う。

 

誰かが死ぬということは、当たり前だけどその人とはもう話せないということだ。その人とはもう会えないし、その人との記憶はどんどん薄れていってしまう。人間は忘れる生き物だとよく言うが、悲しいことに全くその通りで、人間は様々なことを忘れてしまう。三日くらい前の夕食までは憶えているけれど、一年前の今日の朝食だとか、自分が小学3年生の年の10月3日に何色の服を着て学校に行って何を勉強し、その日担任の先生が自分に言った一言目は……だとかは憶えていない。いや、むしろ憶えていたら精神的に参ってしまう。

生きている人との記憶でさえそうなのだから、亡くなってしまった人との記憶をずっと持ち続けることは難しい。憶えていたくても自然と記憶は薄れていく。

 

誰かが死ぬということを受け入れるのはとてもつらいし、時間のかかることだ。

だけど、誰かが死ぬということは、残された人が受け入れてこそのことだと思う。

 

少しネタバレになるかもしれないけれど、この映画のテーマは「死」だけではない。

「死」「時間」そして「愛」。人生のうつくしさを見つけること。

人生のうつくしさって、めちゃくちゃ陳腐に聞こえる言葉だと思う。綺麗ごとっぽい。人生は残酷で苦痛が多い。でも見方や考え方によっては幸せに見えることもある。ただのJKごっこしてた人が何を言ってんだってツッコんでほしい。本当にそうだ。こんなえらそうなことを言っておきながらただの学生だ。人生を語るにはまだまだ歳が足りない。今、この映画を理解したつもりでいるけど、大人になったらもっといろいろなことを経験していて、この映画ももっと深く理解できるんだろうな。そうなっているといいな。

 

 

あと「ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち」も観たんですけど、めちゃくちゃよかった。なにが良かったってジェイクがかっこよかった。でもビビりな私は敵が怖くて怖くて。夢に出てきそう。