未来圏内

日々のくだらないことや小説

吾輩は勝ち組である。

最近しあわせだと思うことが増えた。良いことだ。だから、自分がしあわせだと思うことを書こうと思う。ついこの間、幸せのメカニズムというスピーチを見た。幸せはポジティブな脳から生まれるらしい。そういうわけで、どうでもいい話だけど、端的に言えばしあわせだという自慢をするので聞いてください。これを読み返しているのかもしれない未来の私はしあわせを作る脳を思い出せ。

 

自分が勝ち組だなんて思ったことがなかったし、そもそも勝ち組ってなんだ? と思っていたのだけれど、最近、ああ、私ってしあわせなひとなんだなあ、と思う。そう思えることは、誰に勝ったわけでもないし今まで負けていたわけでもないとは思うけど、勝っている。何かに勝っている。昔の自分とかそういうものに、多分勝っている。しあわせだと思えることはしあわせだ。

 

客観的に見たら、私は普通の学生である。学校の中では成績が特別良いわけではなくて、文才や絵心があるわけでも、何かとんでもない才能、超能力を持っているわけでもない高校生である。これからきっと今までの比ではない挫折とか苦しみとかがあるし、そのときには自分がかつてしあわせであったことも忘れて泣いているかもしれない。

でも、今、高校三年生の私はしあわせだ。

学校の中では成績が良いわけではないけど標準より少しは勉強ができるつもりだし、文才も絵心もないけど自分が好きだと思えることがあって、才能も超能力もないけどそんなに困ってない。人生で大切なのは、喜びがたくさんあることじゃなくて、苦しみが多くないことを喜びにできることだと思う。たかだか十数年生きただけだけど。

 

小学生高学年のころ、クラスメイトの女の子に土下座した。中学生のころ、数ヶ月か、いや、本当は何か月かよく憶えていないけれど、学校に行かなかった。

このころは、本当に生きていることが大変だった。眠る前に自分の部屋の天井を見て、いつの間にか泣いていたり、毎日ぼうっとしていたり、別につらかったときの自慢をしているわけではなくて、そういうころがあったのは事実だ。

誰かに比べればそんなに苦しくはない、子供のよくある話だと思う。でもそのときの私には「それ」がとてつもなく大きい力で、信じられないくらい真っ黒でとげとげしたものに見えていた。そもそもつらいことを誰かの比較するほうが間違いであるので、そんなことを言っても仕方ないかもしれないが。

 

自分にとってのつらいことは、絶対に経験しておくべきだ。でも、乗り越えられることができないつらいことは経験するべきではない。

神様は人々に乗り越えられる試練しか与えないと言う。神様がいるかどうかは置いておくが、そういう神様的な、私たちの意識の向こう側に何かが存在しているのだとすれば、そうなのかもしれない。でもそれは、「悪意」が存在しないところでの話である。

ただの事故と、誰かの悪意が存在する事故つまり事件は違う。階段から落ちて脚の骨を折ったとして、それが単なるその人自身の不注意で落ちたのならそれは乗り越えられる試練であろう。けれどそれが、誰かの悪意によって階段から落とされたのなら話は別だ。悪意は継続する。誰かの悪意がある限り、その人は階段から落とされ続けるのである。そんな悪意を乗り越えろというのは酷い話だ。たまにはそういう悪意を乗り越えられることもあるけれど、それは運が良かったとしか言いようがない。学校に復帰できた私は運がよかった。

だから、つまり私の言いたいことは、すべてを乗り越えなければならないわけではないということだ。酷い悪意は乗り越えられない。むしろ乗り越えようとしてはいけない。逃げることは悪いことではなくて、誰もがする必要のあることだ。悪意から逃げることも必要である。

 

もちろんすべてを他人のせいにするわけにもいかないけれど、悪いのはたいてい害意を生む本人である。だから自分も害意を生んではいけない。嫉妬や優越感・劣等感は多少なりとも感じるものだけれど、それを土台にして人を傷つけようとしてはいけない。

 

私には嫌いな私がいっぱいいるけれど、しあわせだと思える私は、結構しあわせだと思う。

「昔あなたのこと嫌いだったんだ~」って言うヤツ

本当に信じられないよね。

 

今突然思い出した。多分中学一年生くらい。結構仲良かった子に「昔、佐倉(私)のこと嫌いだったんだ~」って言われたことを思い出した。

だからどうってわけじゃないけど、「あ、そうなんすか(笑) へっえww」みたいな声が出る。「だって佐倉、真面目だし、委員長キャラだし(笑)」という話らしかった。

いやあ、まあ、ねえ。認める、正義感強いしあのときは結構正論振り回してた記憶がある。でもだからって言う!? 言うんだ!? それ言っていいやつなんだ!?

言われたときはちょっとイラっとしたけど、今思い返したらどうってことない話だ。いや、どうかと思うけど、まあ、なんか言いたくなったんでしょう。許そう。

 

信じられないことと言えば、もう四月だ。

特に面白い話もなく四月になってしまった。残念。この三か月、何かをした覚えがない。受験生なのに。残念。

 

なんとなく、小学生のころは来年が見えていたのに、大人になるにつれて来年が見えなくなった。来年だけじゃない。明日のことはなんとなく見えているけれど、一か月後のことがわからない。

もう私は大学受験をしなければならない歳になってしまった。

小学生のころ、来年は二年生に、三年生に……六年生に、そして中学生にって思って生きていた。中学まではよかった。でも中学三年生になったら、来年自分がどこにいるのか全く予想ができなくなった。

高校? 高校って、どこの?

自分で進路を決めなければいけない。

そんなこと、自分より年上の人はみんなやってきたことだ。高校に行くか、就職するか、大学に行くか、どの大学に行くのか。予想も希望もない。ただ、よく分からないけど大学には行くらしいから勉強をしなきゃいけないらしいよってそんな感じ。

 

選択肢は無限ではないらしい。一度、先生に言われたことがある。

君たちの選択肢は無限だって言うけど、そんなわけないでしょ。高校生になるまでに君たちはいろんな選択肢を捨ててきたんだよ。捨てて生きてきたんだよ。だから、選択肢は確実に減っていってるの。そりゃ、俺なんかに比べりゃ多いけど、選択肢はもう無限にはないよ。

全く、その通りだなあ。やっぱ教師って言うことが違う。うん、選択肢はもう多くはない。進路ってそういうもんだ。

 

でも私は選びたい。たとえ相手のことがどんなに嫌いだったとしても、本人に「昔あなたのことが嫌いだったんだ~」なんて言う人にはならない道を。

 

とりとめのない話をすることほどストレス発散になるものはないね。わーい。

封印

小説です。

 

封印

 居酒屋の中はクーラーによって冷やされていた。それなりに混雑した店内は人口密度が高い上ほとんどが酔っぱらっているはずなのに全く暑さを感じさせない。今日の飲み相手は中学時代の同級生で長く会っていなかったが、明日は平日で互いに仕事がある。
「俺、生飲むけど」
「同じでいいよ。あと何か、適当に」
 注文を彼に任せ、僕はトイレのために席を立つ。外の暑さと店内の涼しさのギャップで頭痛がする。これだから夏は、と悪態をつくが、もちろん誰も冷房の温度をあげてはくれない。
 席に戻ると、彼は既に注文を終えていた。最近お前どうなの? ビールを片手にお互いの近況報告をする。この間、地元より少し都会のこの町で偶然会っただけだから、知らない話がたくさんあった。仕事の話をした。給料が安い、上司が嫌な奴だ、同僚が協力してくれない。お酒が入ってからどこにでもあるような愚痴が増える。だから、油断していた。彼の口からまさか兄の話が出るなんて、露ほども思っていなかったのだ。
「お前、最近お兄さんは元気か」
 先程まで饒舌だったのに、口をつぐんでしまう。声が出ない。冷や汗が出る。ビールについた水滴が重力に従って下へ流れるように背中の嫌な汗がそろりと流れた気がした。これだから。これだから夏は。舌打ちをする代わりに唇を噛む。
 双子の兄は、よくできたひとだった。一卵性のくせに、僕と同じ顔のくせに、兄はとてもうつくしかった。声も落ち着いて綺麗だったし、きめ細やかな肌は香水をつけていないはずなのに、常に甘い香りがして、そして、料理も上手かった。彼は五感すべてで人を惹きつける。しかも彼は性格においても欠点がなかった。だから僕は兄がとても自慢で、すごく誇らしくて、ひどく嫌いだった。
 兄は、僕が兄を嫌いだと思っていることを知らなかったと思う。彼はいつでも優しかったし、どれだけ突き放しても笑って頭を撫でた。そうやって、どれだけ冷たくしても寄ってくるところも嫌いなのだ。自分が兄を疎ましく思う気持ちは至極真っ当なことなはずなのに、わがままを言っている気分になる。これだけ良いひとを嫌うだなんて、自分がわがままなのではないかと思ってしまう。
「兄さんとは、長いあいだ会ってないんだ」
「そうか」
 うまく笑えていたかどうか、分からない。目の前の彼が、ひきつったかもしれない口元に気付いたかどうかも分からない。ただ、それから兄の話は出なかった。

 兄が死んだのは、九年前の夏だ。僕の一人称が僕から俺に変わる前に、兄の呼び名が兄さんから兄貴に変わる前に、兄は家の庭先で死んだ。僕の一人称は一生、僕のままだ。
 兄を最初に見つけたのは僕だった。よく、憶えている。思い出すという行為もいらないほど、兄の最期は日常の至るところに溶けている。夏の、特に暑い日だ。ジリジリと音がするような気がするほど熱い地面を蹴って、僕は帰った。学校の部活の帰りだ。兄はその日、休みで家にいるはずなのに、玄関を開けても兄の声が聞こえなかった。声だけじゃない、兄の部屋が二階だとは言え、その日の家は静かすぎた。僕は慌ててリビングまで走っていき、室内に兄がいないことを確認したはずだ。見渡して窓の外に、光に照らされた兄の背中を見る。窓を開ける。靴下のまま、僕は庭に出る。
 庭に咲いた花の真ん中で兄が丸まっていた。母が植えた、兄と僕が育てた花だ。それは兄を送る献花のようでもあり、祝福するようでもある。その姿が太陽の光に照らされているのは必然なのだろうとも思った。
兄は、とても綺麗だった。もし庭でなくベッドで同じように死んでいたなら、僕は心臓が止まっていることにすら気付かなかっただろう。それくらい、最期までうつくしかった。
 それから僕がそれをどうしたのか、あまり憶えていない。母と救急車を電話で呼んだことは確かだが、気付けば僕は泣きながら兄を揺さぶっていた。
 兄さん。兄さん、起きて。もう生き返らないと冷静に分かっていた。
 焦って帰ってきた両親が、兄の姿を見て泣き出す。その瞬間に、僕は兄が死んだのだということを突然思い知った。兄はいなくなったのだと、そのことを、初めて知った。
 兄は手紙を三通残していて、一つは家族へ、一つは友人や学校へ、そして一つは僕へ宛てられたものだった。その手紙を、僕はまだ一度も読んでいない。

 中学時代の友人と居酒屋の前で別れてすぐ、携帯が鳴った。二十三時三分。辺りはまだ人通りが多く、会社員らしきスーツの人も見受けられる。夜の暗さの中に居酒屋や広告の看板が光として浮かび上がっている。僕のスマートフォンの光なんて、弱々しい。
「遅い」
 電話をとると、開口一番それだった。
「ごめん、酔ってて」
 本当はあまり酔っていない。
「はあ、酒かよ。この時期のお前の酒とか心配にしかならねえよ」
「別に、兄さんのことじゃない。中学のときの同級生と飲んでただけ」
「まあいいけど」
 高校時代の友人だ。兄が死んで、僕が呆然としながら毎日を過ごしていた時期を知っている。親友と呼ばれる類だ。高校を卒業してからも気づかって、毎年この時期になると体調を崩す僕に電話してくる。そして、地元からわざわざこちらまでやってくるのだ。
「明後日、そっち行くから」
「え?」
 唐突すぎる。
「土日休みだろ。土曜の夜、飲もうぜ」
 僕は返事ができない。返答も待たずに切れた電話をポケットに押し込み、帰ろう、と思った。

 小さいころから、テストの点数は上回れなかった。兄が走り幅跳びで跳べた高さを跳ぶことができなかった。悔しくて泣いているところを慰めるのは兄だった。兄が嫌いだった。

「それはさ、お前、自分のことがよく分かってないんだ」
 親友は何もかも知ったような顔で言って、酒をあおる。箸で僕を指して「馬鹿だなあ」と穏やかに笑う。その口調が兄にそっくりで、少しだけ泣きそうになる。
「お兄さんのこと、なんで嫌いなの」
「兄さんは、完璧だったから」
 超えられないことも、超えようとして色々なことに挑戦する僕を励ますことも、嫌だった。うつくしい兄を超えることはできない。それだけは、よく分かっていた。双子なのに同じじゃない。同じになれない。いつだって僕は兄より下。
「お兄さんを超えたかった?」
「え?」
 おしぼりを弄んでいたのに、まともに顔を見てしまった。超えたかった? 疑問に思う。僕は兄を超えたかった?
 そうだとしても、もう叶わないことだ。
 親友は目を細めた。彼の目は友達を見る目というより、息子を見る慈愛に満ちた母の目だ。
「お前、お兄さんのこと思い出したくないんだろ」
「そりゃ、嫌いだし」
「そうじゃなくてさ。お兄さんが亡くなったあと、お前から一度もお兄さんの話聞いてない」
「話してるよ、今まさに」
「……お前の話には思い出がないんだよ。お兄さんがどんな人だったかばっかりで、お兄さんの目にお前が映ったことがない。それって思い出じゃないだろ。たとえばほら、昔言ってただろ、中学のころお兄さんと水族館に行ったとか、公園で一日かけて砂の城を作ったとか」
 そんなことを彼に言った憶えがなかった。いや、兄とそんなことをした憶えさえない。目の前の男を見つめるが、冗談や嘘を言っているようには見えなかった。僕が忘れているらしい。
不思議に思っている僕にひとしきり呆れてから、ビールを片手に親友はなんでもないことのように提案してきた。
「実家に、帰ってみたら?」
「実家に?」
「お兄さんの部屋、残ってるんだろ」
 会話が噛みあっている気がしない。ああ、ともうん、ともつかないうめき声で返事をする。確かに、実家の兄さんの部屋は九年前から手つかずのままだ。兄が生きていたころ何度も入った部屋は、兄が死んでから誰も入らなくなった。
「あるのは机とベッドだけだけど」
 何だか居心地が悪く感じられ、ビールを口に流し込む。僕には少しほろ苦い。アルコールと苦さで喉が焼けそうだと思う。
「いいんだよ。お兄さんの思い出の封印を解くんだよ。きっかけなんだよ、そういうのは」
 封印って、何だよ。悪態をついたつもりだったのに、僕は泣きそうになっている。親友が僕の髪をくしゃくしゃにしながら頭を撫で、それがやっぱり兄に似ていた。

 兄の部屋は蒸し暑く、もう何年も部屋の主がいないことが分かるホコリの量だった。窓から入る光はカーテンによって遮られ、昼だというのに薄暗い。虫一匹の気配さえしない。本当に時が止まっているのではないかと錯覚するほど静かだ。兄が死んだことで、この部屋自体も死んでしまったのかもしれない。
連絡も入れずに実家に帰ったのに、母親は「おかえり」などと呑気に言った。僕が、親友の言うところの封印を解きに来たと知っているようだった。
「兄さん、入るよ」
 いつもしていたように声をかけ、足を踏み入れる。裸足だった足の裏にホコリがつく。僕は迷わず部屋の手前に置かれていた勉強机へ向かった。
 木製の机の上は床と同じ状況で、掃除がされていないことが分かる。勝手に机に触れることを心の中で謝り、引きだしを開ける。彼が使っていた文房具の中に紛れて二つの封筒があった。真っ白いそれに右上がりの字でそれぞれ、家族へ、友達へと大きく書かれている。急に、肩にかけた鞄が重く感じられた。
 お兄さんの思い出の封印を、解くんだよ。
 親友の声がする。そうだ、僕はこれを読みに来た。これと、僕に宛てられた手紙を。
 封筒を手に取り、引きだしを閉める。部屋の奥のベッドに、最期に見た兄と同じ格好で寝転んだ。兄はどうして、あの格好で死んだのだろう。これから死ぬくせに、どうしてこれから生まれる胎児のように丸まって死んだのだろう。
 家族へと書かれた封筒を開き、便箋を出す。紙いっぱいに丁寧な兄の字が並んでいた。深呼吸をして、読み始める。
 兄の遺書を読むのは、思ったよりも苦しくなかった。兄の文はあっけらかんとした口調であったし、ほとんどが両親に向けられた言葉だったからだ。途中、僕の体調を気遣う話もあったが、それだけだった。死んでまで僕の体調を心配するなんて、馬鹿らしい。兄の嫌いなところでもあり、好きなところでもある。僕は丸まったまま、鞄から自分宛ての手紙を出した。一人暮らしをしている部屋の机の奥に閉まっていた。これは、兄が、家族とは別に僕に宛てた手紙だ。両親には伝えなかった言葉だ。そう思うと手が震える。さっきより緊張する。一度も開けられていない封筒を開けるのにてこずったが、やっとのことで便箋を取り出し、開き――息が止まった。
 そこには、ただ一行しか書かれていなかった。自殺した理由なんかじゃない。兄がわざわざ僕だけに宛てた手紙。両親には伝えなかった言葉だ。僕だけに伝えたかった言葉だ。
 ああ、と息を吐き出す。涙がぼろぼろと落ち、僕は危うく手紙を濡らしそうになる。ああ。もう一度息を吐き出して、僕は何度もその文を読み返す。
 ――お前が俺を想うくらい、お前のこと、好きだよ。今も。
 僕は、兄が嫌いだった。とても、兄が嫌いだった。双子なのに僕らは正反対で、兄はいつも自分の前を歩いていた。完璧な兄と凡人の弟。真っすぐな彼とひねくれた僕。対等ではないと思っていた。
対等に、なりかった。
 だから嫌いだった。兄も、それ以上に、兄と対等であれない自分も。だけど、兄は、ずっと。ずっと、僕らはお互いを愛し合っていたのかもしれない。家族とか、双子とか、そういうのを越えて、だ。
気付いたら僕は夢を見ていた。兄の夢だ。兄と僕が、兄の死んだ庭先に座って花をいじっている。晴天だ。日差しは強く、兄の白い肌はすぐに赤くなってしまいそうである。
「なあ」
「何?」
 隣に座っていた兄が立ち上がって、僕の向かいに立った。兄の影のおかげで、僕は日差しから逃れる。顔をあげて兄の次の言葉を待つが、兄の表情は逆光で読めない。仕方なく、僕は花を見る。
「俺が死ぬときはさ」
「死ぬ?」
 突拍子もない話だ、と思った。僕は現実で兄が死んでいることを知っているのに、だ。
「そう、死ぬ。魂が肉体から離れるときの話」
「兄さんは魂の存在、信じてるんだね」
 僕はどうでもいいことを言う。母の育てている花に水をやる。花びらに水をかけないように、丁寧に茎の根元に水をやる。
「そんなことはどうでもいいんだ」
 兄も花に肥料を与える。
「俺が死ぬときは、多分、お前のせいだよ」
「何それ」
 少なからずショックを受けた僕は、手元から視線を外した。また兄を見上げるが、やはり逆光で、兄がどんな顔をしているのかは分からない。
「だからさ、俺のこと忘れないでくれよ」
「なに、それ」
「お前のせいで死ぬんだから、俺のことを忘れるなよって話」
「……忘れないよ」
「絶対な」
「絶対なんてないでしょ」
「絶対だよ。俺の半身だろ?」
 半身ではないと思うのだが、僕は素直に頷いた。半身という言葉が意外にも心地よかったからだ。
「憶えててくれるならいいや。俺、死んだらさっさと成仏してこの世から解放されよう」
 何だそれ、と思う。兄が僕に近づいて、ぽんぽんと頭を撫でる。「お前は本当に」と兄が口を開いて――目が覚めた。僕は兄のベッドで、赤子のように眠っていた。
 夢が、本当にあった過去の記憶なのか、僕の妄想なのかはっきりしなかった。夢の中の兄は僕のせいで死ぬのだと言ったが、それは僕に憶えていてもらうための口実に思える。いや、僕の望みが入った妄想なのかもしれない。
結局、兄の死んだ理由がなんだったのか、兄の封印が解けたのか、僕には何もわからない。兄が僕を愛してくれていたのかも、今となっては想像である。ただ、僕は少し、本当に少しだけ、嬉しいと思う。
 夢の中で兄が世話をしていた花に、水をやろうと小さくそう思った。逆光で見えないはずなのに、兄が不器用に笑うのが見える。

 

 

 

唐突に小説でした。ろくに推敲もしてないけどどうしてもあげたかった。以前書いた話をさらっとだけ書き直したものです。でも、自分の好きな話です。

面白い話

「そういえばこの前面白かったんだけどさ〜」って話しだされると後に続く話がどんなに面白かろうと面白さ30%くらい減るよね。なんで分かってて「面白い話なんだけど〜」って話し出すんでしょうね。

評論とかでも「面白いことにこれは--が〜〜であるのと同じである」とか言われるじゃん。あれ全く面白くないね。

 

書きたいブログの内容はそんな話とは全く関係なく、その上面白い話をしようと思ってるわけでもなんでもないんだけど、言いたいことはただ1つ。

学校ってなんで長期休暇の度に調子乗って課題出すの?

わ〜もうすぐ春休みだね〜って生徒が浮かれるのも分かる。

生徒浮かれてる〜腹立つ〜って教師たちが思うのも分かる。

だけどそんなに課題出すことなくない? しかも各教科で相談もせずに課題を出すのはやめろ。各教科が本気出しちゃったら全部受け止めなきゃいけない生徒の負担がすごいよ。

これはあれだ、友達の誕生日プレゼントにちょっと大きいものを買って学校で渡したら他の人も大きめのものを買って渡してて、誕生日の子がとんでもない大荷物で帰らなきゃいけなくなるやつだ(これってみんな経験あるんだろうか)。

 

課題の多さに悩まされるなんて全国の高校生共通のことだよな。課題しよ……。

誰かが死ぬということ - 「素晴らしきかな、人生」

勉強しなきゃいけない時期なんだろうけど、そもそも勉強しなきゃいけない時期に勉強したいと思わないのが世の常なので、結局日曜は勉強をせずに映画を観に行った。スタバにも行った。所謂JKごっこである。

しかし私が観たのはドSな黒王子キラ君今日恋を始めちゃうような恋愛映画でもなければ、僕らのご飯が待ってる明日、昨日の君とデートしたり、あるいは明日、突然ですが結婚したりする(これはドラマだ)する恋愛映画(なんで最近の恋愛ものは日時指定が厳しいのだろう)でもない。観たのはウィル・スミスである。

普通のJKって果たしてウィル・スミスがドミノを組んだり崩したりする映画を観たりするのかな?と思ったけど映画館には意外にも中学生がいました。

えっ、中学生? 中学生がこんな人生の不幸や幸福を描いた映画を見るの? とも思った。思ったけど観てた。彼女たちどんな気持ちで観てたんだろう……。

 

そういうわけで「素晴らしきかな、人生」を見ました。以下ちょっとしたあらすじ。

広告代理店で成功を収めていたハワード(ウィル・スミス)は、愛する娘を亡くし、妻とも離婚、絶望の最中にいた。日常生活も仕事もやる気が起きず、会社でやることと言えばドミノを組むこと。会社は危機に瀕していた。

そんななか、奇妙な3人の男女が現れる。彼らはそれぞれハワードに言葉を投げかけてくるのだった。そうしてハワードは奇妙な出会いによって少しずつ変わっていくが……

 

 もちろんこれは、主人公・ハワードが絶望から少しずつ立ち上がって人生を生きようとする映画である。このことはあらすじから読み取れると思う。だけど、それだけじゃない。最後まで見たら「なるほど」「そうだったのか」「そういうことだったのか」って思うだろうし、きっとみんな、自分の人生を生きる勇気を得られると思う。

 

誰かが死ぬということは、当たり前だけどその人とはもう話せないということだ。その人とはもう会えないし、その人との記憶はどんどん薄れていってしまう。人間は忘れる生き物だとよく言うが、悲しいことに全くその通りで、人間は様々なことを忘れてしまう。三日くらい前の夕食までは憶えているけれど、一年前の今日の朝食だとか、自分が小学3年生の年の10月3日に何色の服を着て学校に行って何を勉強し、その日担任の先生が自分に言った一言目は……だとかは憶えていない。いや、むしろ憶えていたら精神的に参ってしまう。

生きている人との記憶でさえそうなのだから、亡くなってしまった人との記憶をずっと持ち続けることは難しい。憶えていたくても自然と記憶は薄れていく。

 

誰かが死ぬということを受け入れるのはとてもつらいし、時間のかかることだ。

だけど、誰かが死ぬということは、残された人が受け入れてこそのことだと思う。

 

少しネタバレになるかもしれないけれど、この映画のテーマは「死」だけではない。

「死」「時間」そして「愛」。人生のうつくしさを見つけること。

人生のうつくしさって、めちゃくちゃ陳腐に聞こえる言葉だと思う。綺麗ごとっぽい。人生は残酷で苦痛が多い。でも見方や考え方によっては幸せに見えることもある。ただのJKごっこしてた人が何を言ってんだってツッコんでほしい。本当にそうだ。こんなえらそうなことを言っておきながらただの学生だ。人生を語るにはまだまだ歳が足りない。今、この映画を理解したつもりでいるけど、大人になったらもっといろいろなことを経験していて、この映画ももっと深く理解できるんだろうな。そうなっているといいな。

 

 

あと「ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち」も観たんですけど、めちゃくちゃよかった。なにが良かったってジェイクがかっこよかった。でもビビりな私は敵が怖くて怖くて。夢に出てきそう。

無批判と悪意のあるもの - 「沈黙」

現代文の教科書に、村上春樹の短編、「沈黙」という作品が載っている。授業で読んだわけではないのだけれど、訳あってこの話を読んだ。

そもそも自分は村上春樹の作品が好きでもないし嫌いでもない。高校生でも上の下の中くらいの成績の良さ(これは高慢でも、逆に謙虚でもない。多分本当にそれくらいだ)の自分では村上春樹の作品を噛み砕くことができた試しがないが、ときどき読む、そのくらい。ちなみに私が読んだ作品は「1Q84」「海辺のカフカ」「色彩を持たない~」とか、それくらいだ。

 

ただ、この話はとても深く理解できるし、きっと、自分と同じ考え方の人は同じようにこの話を理解できると思う。

あらすじはこうだ。

「僕」と大沢さんは空港にいる。待合時間に「僕」は、穏やかな顔とは反対に中学からボクシングを習っているという大沢さんに「喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか」と聞いた。大沢さんはそのことについて話さないかのように思われたが、少しして「一度だけ」という言葉が返ってきた。「できることならこんな話はさっぱりと忘れてしまいたいと思っているんです」と言いながら、大沢さんは、人生で一度殴った人物・青木のことを話し始める。

作中で大沢さんが言う通り、ボクシングを習っている人間が生身の人間をグラブをつけずに日常で殴ることはとても危険なことだ。それは分かっていたけれど、大沢さんは怒りに任せて青木を殴ってしまう。ここでいちばん好きな文を紹介したい。

 

「僕は相手を殴ったことを悔やんではいましたが、青木に対して悪いことをしたとは露ほども思いませんでした。(中略)本当にこんな奴は誰かに踏みつぶされて当然なんです。でも僕は彼を殴るべきではなかった、それは明らかなことでした。」

 

大沢さんの言うことが分かるだろうか。彼は相手を殴ることが何の解決にもならないことを知った。私も知っている。怒りに身を任せたからって、そういう、青木のような人間が反省するわけではなく、自分の心が晴れるわけでもないことを。

 

中学のころ、私も「沈黙」に耐えていたことがある。クラスメイトからは「佐倉さん」と名字+さん付けで呼ばれ距離をおかれて、何をしたわけでもないのに私は教室から外れた人だった。

大沢さんは青木のような人間がいることは諦めていて、自分が怖いのは青木のような人間の言うことを無批判に信じてしまえる人間なのだと言った。

私はどちらも怖かった。ただ、沈黙には耐えた。

 

沈黙に耐えるということは大事だと思う。たとえその耐え方が「その人との関係を断つ」ことであろうと「学校に行かない」ことであろうと、悪意ある何かから自分を守って生きることは大切なのだと思う。しかし、耐えることは生きることであって、死ぬことではないことを憶えていてほしい。これは誰か今から死ぬかもしれない人に向けて言っているのもあるけれど、一番は未来の自分のためである。一度沈黙を耐えて、高校に通うことで「生きる」ということを取り戻した自分が、未来でもう一度耐えねばならなくなった自分のために言うのだ。

 

 

村上春樹といえば、内田樹の「邪悪なものの鎮め方」も読んでいる途中だった。邪悪なものの鎮め方、沈黙を耐える間に出会えたらよかったかもしれない。今からでも遅くないから読むかあ。

"自分"は何で決まるのか? - 「君はレフティ」

キーワードは「君はレフティ」「7.6」。

「君はレフティ」という本を読んだ。著者は額賀澪さん。初めましての作家さんだ……。

以下やんわりとしたあらすじと感想。

 

小説の始まりは主人公・古谷野真樹が夏休み中の事故によって記憶喪失になったところからである。高校二年生の古谷野は記憶のないまま学校に復帰することになるが、かつての友達は今や初対面の人ばかりで、教室では孤独感を感じ、友達も優しく迎えてくれるが違和感はぬぐえない。そんな中、ある日体育館の壁に「7.6」という落書きが描かれる。しかし落書きはそれだけには留まらず、連続するいたずらへと発展。主人公はその落書きが「自分に対してのメッセージ」なのだと考え、記憶を失ってからもう一度友達となった生駒桂佑や春日まどかと落書きや自分の記憶の真実を探し始めるが……。

 

この本のキーワードは先ほど書いた通り「君はレフティ」というこのタイトルと、序盤から登場する謎の数字「7.6」である。正直後者についてはこの書き方でいいのか迷うところはあるが、とにかくそう。

とっても勘が良いか、この本のテーマの一つ(だと私は思っている)のある事柄に対して興味がある、なんて人でなければ、この本のラストにはこの情報からは辿り着けないと思う。私は後者に当てはまる人であるので、結構話の道筋が見えてしまったけれど。でも、決してこの本はそのテーマ一つで成り立っているわけではない。

 

すごく端的に言ってしまえば、この話から考えさせられることは、「自分」であるとはどういうことなのか、ということである。主人公の古谷野は事故に遭う以前の記憶をすべて失ってしまった。友達はもちろん、家族とも、どんな会話をしたのか、どんな日常を過ごしたのかさえ憶えていない。自分がクラスの中でも中心にいたことも、自分が体育祭で活躍したことも、友達に頼まれて、生徒制作の映画のエキストラになったことも、何も憶えていない。そんなことができる能力があるというのも知らない。

しかし、古谷野の友達の中には、記憶を失った彼に「前と変わらない」と言う人もいる。彼――古谷野はそれまでの自分を知らずに、友達の言う「古谷野真樹」と現在の自分にギャップさえ感じているというのに、である。

じゃあ、自分って何なの? 何が自分を自分たらしめているの?

記憶は自分を形作る大きな成分だけれども、それがどこまで自己に影響を与えているのかっていうのは分からない。話はそれるが記憶を失くしても仕草や考えが変わらないこともあるだろうし、逆に記憶があっても移植などで食べ物の好みが変わった、というような話もよく聞く。結局、自分が何によって決められているかはわからないものだ。

 

そういうわけで、色々考えた本だった。拙いながらも考えたし書いたのだが、こんな私が考えるようなことのみがこの本の魅力ではない。この本は!!!もっと!!!!魅力があるんです!!!!!!!!!

なんといっても文章が読みやすい。かと言って簡潔すぎるわけでもなくて、古谷野の気持ちが痛いほど伝わってくるのがすごい。みんなが褒める記憶を失う前の古谷野と、記憶を失った古谷野が違うことは彼が一番感じているのだ。どれだけの人が「前と同じ古谷野」と思おうと、彼自身が痛切に感じている。文章だけじゃなくてストーリーも良い。

ううん伝わらないよなーーーこの良さは!!!!とにかく読んでほしい!!!!

 

 

 

以下盛大なネタバレがありますので気を付けて。

これだけは言っておくけれど、「君はレフティ」を読むつもりの人は以下は絶ッッッッッッッッッッッッッ対に読まないでほしい。この本はネタバレを何も知らずに読んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ含みます。

みんなが幸せになって、誰も「幸福な結末」にはならない、と私が呼ぶエンディングでした。でも好きな終わり方。

これで春日とくっついても、生駒とくっついても、(あるいは、もしかしたら、前園と!)くっついても、一人は幸せになれるけど、残りの二人はどうしたって「あきらめる」という行為をしなければならない。だからこれが一番「みんなが幸せ」なエンディングであると思う。しっかし古谷野は素敵な子だったのね。

何といっても、すべては生駒と春日の性格の良さである。生駒も春日も素晴らしい子なの!!! 私は断トツ生駒派。

「LGBTの人々の割合と左利きの人々の割合は同じくらい」という話は結構有名(だと私は思っていたけれどもしかしてそうでもない?)だから、私はどこかの書店で「君はレフティ」というタイトルと「7.6」という数字が書かれたポップを見た瞬間に「なるほど、素敵なタイトルだ」と思ったわけです。

生駒に対しての夏休み前の古谷野の発言が、すべてあたたかくて、偽善でもなんでもない、ただ「古谷野」の言葉が、すごくきれいだった。なんて素敵な言葉なのだろう。でも、記憶を失ったあとの古谷野も、きっと本質はなんら変わっていないのだと私も思う。生駒の家を出たのに戻って謝りに行くところとか、「ごめん」や「大丈夫だよ」という言葉を生駒が望んでいないのだと気付けるところ。こんなに切実で苦しい小説があったか!?!? と思ってしまった。とにかくいい。私にはこの良さは書けない。

 

一番最初の読書記録がこれでよかったなあ。ということで、これからも本を読みたい。